さだまさし「かなしい大人。反面教師に未来を作って」2005年05月28日 10:27

 さだまさしさんのエッセイが掲載された(朝日新聞 5/28/2005 「生活」欄)。短い文であるが著作権の問題があるので、全文は引用できないから、ここではキーワードだけをご紹介する。ぜひ、新聞をご覧下さい。「 」がさだまさしさんの言葉。

次のことは、「汚い心」だ。
  • 「こんな情けない大人たちに育てられた若き君の無念を思うとき僕は絶句する。」
  • 「恥も、外聞も、自らの誇りも、金で売り渡してしまたような哀しい私たちを反面教師に成長し、無事に素晴らしい未来を作って下さいと、伏して懇願するばかりだ。」
  • 「かくて日本は世界で有数の幼稚で、恥知らずで、軽薄で、不人情で正義と夢のない国になった。」
  • 「今の大人たちとすべて反対のことをすればよい。」
次のことは、「自殺予防」になるところ。
  • 「友人を大切にし、礼節を重んじ、学歴を盲信せず、きちんと人の心を見つめ、年寄りを大切にし、子供を守り、男女は互いを尊重し、譲り合い、愛し合う。
     諍(あらそ)う時でも決して暴力に頼らず、相手の身になって考え、夢を捨てず、いつも明るく笑顔を絶やさず、力を惜しまない。これだけのことで君の未来は強く、大きく、明るく拓(ひら)けるだろう。」
 以上、さださんの言葉の一部をご紹介したが、今の大人の行動は、ビジネス、政治、宗教、学問、教育、医療、介護、メディア、どこでも、「君」たち若い人たちの模範にはならない。独断、偏見、エゴイズム、我利、けおとし、徹底的ないじめ、恥知らず、不人情、軽薄、正義なし、夢なし。だから、やさしい、誠実な人が、苦しみに追い込まれ、うつ病になり、さらに追い込まれて、自殺していく。
 「君」たちが作らなければならない日本だが、組織にはどこもさださんがいう「大人」がいる。容易なことでは変わらない。だから、できることは、上記の「自殺予防」になる、と書いたことを自分の周囲で実行することだろう。大人の組織では、実行しがたいが、自分の周囲ならば、できるだろう。若い「君」がそれを本当に実行すれば、50年後(今の「大人」がいなくなった時)には、それがすべての組織の中で行われるはずだ。「大人」をみならってはだめだ。「反面教師」だ。「未来」を作るには、今だ、「君」の今の行動だ。座視していては、さださんのいう「未来」は作られない。「今」「君」が行動しないと。

国という単位でものごとを考えないで2005年05月18日 11:56

 朝日新聞(5/14)に、王瑞雲氏の意見が掲載された。

 『子どもたちにこう言いたいのだ。「国という単位でものごとを考えないで。人としてどうかが問題なのだ。世界中いろんな人がいる。その人々と話ができるように、しっかり勉強してほしい」と。』

 『憎しみを植えつけられて育つ子供がいる限り、暴力の連鎖は断ち切れない。「暴力では復讐は果たせない。愛と智と徳で初めて仕返しができる」。昔、いじめられて泣いて帰るたびに、私に教えてくれた母の言葉だ。』

 これを拝見して、私は次の図を描いてみた。

┏━━━━━━━━┓  ┏━━━━━━━━┓
┃(A)の場所  ┃  ┃(B)の場所  ┃
┃グループ・国  ┃  ┃グループ・国  ┃
┃┏━━━━━┓ ┃  ┃┏━━━━━┓ ┃
┃┃自分(A)┃ ┃←→┃┃他者(B)┃ ┃
┃┃     ┃ ┃  ┃┃     ┃ ┃
┃┗━━━━━┛ ┃  ┃┗━━━━━┛ ┃
┗━━━━━━━━┛  ┗━━━━━━━━┛
ーーーーーーーーーーー自己ーーーーーーーーーーー

 グループ・国は、時間と場所が広大である。必ずしも、自分の思惑とは同じでなく、異なる思想を持ち、行為をする。  自分、他者は、百年以内・小さい存在である。

グループは、時に応じて、臨機応変、自分勝手なグループを形成する。
そして、個人として攻撃してはいけない部分で、個人攻撃をする。
攻撃する時、自分によらないで、自分の場所から、裸の他者を攻撃する。
自分の身を守る時には、自分の身を隠し、場所の裏に隠れて、権威を利用する。

日本でも、自分の利益で、場所の権威を借りて、弱い裸の個人攻撃をするグループがいる。
  • 被害側、加害側。
  • 自分の会社、競争会社。
  • 自分の集団の人、集団外の人・批判する人。
  • 自分と同じ職業の人、違う職業のグループ。
  • 同国人、他国人。
 裸の自分は、グループの思想、グループの利益を絶対としてはいけない。人として、自分の考えを持つべきだ。
王氏は、裸の自分(A)と裸の他者(B)と、グループの思想・行為を別個に見ることを教えてくれているのだろう。

 もちろん、自分の住む場所(グループ・国)が、過去に何をしたか、それを学ぶ必要がある。 その場所も、結局、個人の心の集合であった。結局、個人に帰すが、人は、組織、グループとの力関係から、ゆがんだ心を持ち、他者を害する行為をすることがある。他のグループの人は、それで苦しんだ。自分も同様の弱い心、汚い心を持っている。再発しないように、自分の心と、自分と自分を育てた先祖が住むグループ・国の心を学ぶ必要がある。

列車の脱線事故の遺族の家にいやがらせ2005年05月16日 12:20

 報道によれば、犠牲者の遺族宅に嫌がらせの電話や電報などが相次いでいるという。無言電話や、ひどいことを言う。
 親族らがJR西日本社員に「JRに殺された」と訴える様子をニュースで見たといい、「そういう態度でいるから、息子が事故に遭ったのです」と話したという。

東京新聞5月16日朝刊

 人は、感情に覆われた場合、通常とは違う言葉・行動になる。遺族は「激しい悲しみ」と「激しい怒り」がある。エゴイズムの人間が気にくわないことがあって激しく怒り、他者をいじめたり、暴力、暴言するのは、誰も共感はしない。
 しかし、今回の事故の遺族の場合には、激しい言葉になるのは当然である。自分の配偶者や子どもが死んだと思って共感しようとすれば、わかりそうなものである。
 そんな悲しさ、怒りの中にあるご遺族のお宅に、いやがらせの電話をするとは、何というしうちか。さらに、苦しさを増してしまう。悲しい時に、苦しい時に、その人の苦悩を共感しないで、一層、苦しさ、悔しさを増してしまう行為をする人間がいる。
 「そういう態度でいるから」と他者を批判する資格などない。
 イラク人質事件の時にも、被害者宅に匿名でのいやがらせの電話が多かった。ひどい心の日本である。こんな日本にしたのは、私を含めて、大人の我々だ。このようなことをする人間を育てた。種々の組織で、自分中心の身勝手な考え方をする、自分たちだけの利益を貪る。そのような種々の仕組みを批判せず、放置、黙認し、助長し、同罪を犯してきた。