国という単位でものごとを考えないで2005年05月18日 11:56

 朝日新聞(5/14)に、王瑞雲氏の意見が掲載された。

 『子どもたちにこう言いたいのだ。「国という単位でものごとを考えないで。人としてどうかが問題なのだ。世界中いろんな人がいる。その人々と話ができるように、しっかり勉強してほしい」と。』

 『憎しみを植えつけられて育つ子供がいる限り、暴力の連鎖は断ち切れない。「暴力では復讐は果たせない。愛と智と徳で初めて仕返しができる」。昔、いじめられて泣いて帰るたびに、私に教えてくれた母の言葉だ。』

 これを拝見して、私は次の図を描いてみた。

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┃(A)の場所  ┃  ┃(B)の場所  ┃
┃グループ・国  ┃  ┃グループ・国  ┃
┃┏━━━━━┓ ┃  ┃┏━━━━━┓ ┃
┃┃自分(A)┃ ┃←→┃┃他者(B)┃ ┃
┃┃     ┃ ┃  ┃┃     ┃ ┃
┃┗━━━━━┛ ┃  ┃┗━━━━━┛ ┃
┗━━━━━━━━┛  ┗━━━━━━━━┛
ーーーーーーーーーーー自己ーーーーーーーーーーー

 グループ・国は、時間と場所が広大である。必ずしも、自分の思惑とは同じでなく、異なる思想を持ち、行為をする。  自分、他者は、百年以内・小さい存在である。

グループは、時に応じて、臨機応変、自分勝手なグループを形成する。
そして、個人として攻撃してはいけない部分で、個人攻撃をする。
攻撃する時、自分によらないで、自分の場所から、裸の他者を攻撃する。
自分の身を守る時には、自分の身を隠し、場所の裏に隠れて、権威を利用する。

日本でも、自分の利益で、場所の権威を借りて、弱い裸の個人攻撃をするグループがいる。
  • 被害側、加害側。
  • 自分の会社、競争会社。
  • 自分の集団の人、集団外の人・批判する人。
  • 自分と同じ職業の人、違う職業のグループ。
  • 同国人、他国人。
 裸の自分は、グループの思想、グループの利益を絶対としてはいけない。人として、自分の考えを持つべきだ。
王氏は、裸の自分(A)と裸の他者(B)と、グループの思想・行為を別個に見ることを教えてくれているのだろう。

 もちろん、自分の住む場所(グループ・国)が、過去に何をしたか、それを学ぶ必要がある。 その場所も、結局、個人の心の集合であった。結局、個人に帰すが、人は、組織、グループとの力関係から、ゆがんだ心を持ち、他者を害する行為をすることがある。他のグループの人は、それで苦しんだ。自分も同様の弱い心、汚い心を持っている。再発しないように、自分の心と、自分と自分を育てた先祖が住むグループ・国の心を学ぶ必要がある。

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